コーポレートガバナンスとエージェント問題 | アダムスミスに学ぶ企業統治

書棚

Pocket

エージェント問題とコーポレートガバナンスの思想的な背景を解説します。

そもそもなぜ企業を統治する必要があるのか?

その根本的な理由を、少し遠回りしながら投資家がわかりやすく解説します。

由来から考えるために資本主義の成り立ちを振り返り、株主と経営者との本来の関係を明らかにします。

  • 「コーポレートガバナンスは株主のためだという理由」
  • 「その通りだとして、では会社はどうあるべきか」

これらを解説しています。

コーポレートガバナンスの論点

コーポレートガバナンスの議論の第一スタート地点は、「株主のための会社であり、株主のための利益であるということ」です。

会社とは営利団体であり、利益を出すことが目的です。

社会的な価値を創造した結果として利潤が得られます。
会社が利潤を出すことで最も報われるのは株主です。

コーポレートガバナンスと資本主義

「株主が会社の利益を優先的に享受できる」ことの思想的背景について、資本主義の成り立ちから考えます。

資本主義の根幹は、私有財産制です。

リベラルの先駆け―ロックとスミス

土地や財産は国が管理して独占するものではなく、人々は、自らの労働によって得ることができる。
手に入れた財は、自分のものとして自由に使ってもよい。

そして、自分の財を侵害されることや、自由に財を得ることが誰かから妨げられることなどがないようにするのが、国家の役割だ。

これは思想家のジョン・ロック「統治二論」(第2部第5章)の中で述べたことです。
それまでは王国が力を持ち、公平な競争を信奉する自由主義(リベラル)の考えは、これが原点です。

アダム・スミスは、ジョン・ロックの死後19年後に生まれましたが、ロックの考えを大いに受け継ぎました。

コーポレートガバナンスと私有財産制

資本主義の根幹は、「所有と経営の分離」です。

私有財産制によって所有権は認められている」
「他者が実質的にモノを借りて管理・使用することができる」

このような考えが資本主義の根底にあるのです。

貸与取引が双方に利益
所有者はモノを貸与する見返りに金銭的利益を得ます。

たとえば自動車を所有している人は、それを常にそれを使うわけではありません。
米国の統計では90%の時間は使われていません。

 

それであれば使わない時間は他の人にレンタルし、レンタル料を得れば所有者も使用者もどちらもハッピーです。

 

これを企業経営に当てはめると、投資家は有望な事業をいくつも見つけ、経営は誰かに任せること(信任)で経営という煩雑な行為から逃れ、また空いた時間で同時に複数の事業を育てながら利益を得ることができます。

会社を所有しているが、会社にはたまにしか顔を出さず、社長は別の人間を立てている人がしばしばいますが、このような人はオーナーです。

経営者は、株主(オーナー)に代わって経営をする代理人(エージェント)です。

株主と経営者の関係

株主は信用によって、経営者に自らの財産を預け会社経営を委託します。
株主は経営者に信任を授受したわけですから、経営者は信任受託者とも言います。
経営者の仕事とは、株主から委託された財産を会社経営という方法で運用し、利益を株主に還元することなのです

経営者は自己資金がなくても貸与された財を運用し利益を出すことで株主に資金を還元し、その見返りとして報酬を得ます。

つまり経営差は株主のエージェントです。

持つ者と持たざる者の双方に利益があるのが、資本主義の利得です。

コーポレートガバナンスとエージェント問題

ではここからは、コーポレートガバナンスの問題点、限界を解説します。

株主の心配と信用

このような信任関係はもちろん良いことだけではありません。

  • 経営者が株主の財産を損なうリスクがあります。
  • 株主が財産を自分の私利私欲のために乱用かもしれません。
  • 株主の財産を持ち逃げしないでしょうか。
  • 経営者がいかに誠実であっても、能力が劣っていて会社の経営を傾かせるかもしれません。

株主からしてみれば、自分の大切な財産を預けるわけですから心配はつきものです。

あらゆる心配をクリアしてくれる優秀な経営者を探すにも時間と労力と費用がかかります。
サーチングコスト

そして最後は情報の非対称性のために、どこかで妥協しなければなりません。

情報の非対称性があるのに相手に任せることは、信用することにほかなりません。
資本主義は、信用によって成り立っているのです。

株主は、経営者が株主のために適切に財産を運用されているかどうか(ちゃんと経営を行っているか)チェックしなければなりません。
株主は大切なお金を預けており、損失はすべて自分が被りますから、モラルハザードを防ぐための監視やリスク負担への備えはしなければなりません。

実際に経営をするのは経営者であっても、投資家も絶えず市場や会社をチェックし、投資戦略に修正が必要ないかどうか難しい決断を迫られることもあります。

コーポレートガバナンスはクビにする力

そして、うまくいっていない場合、「何がしかの対処」をする必要があります。

  • 経営方針を改めさせる
  • 経営者の報酬を見直す
  • 管理体制を見直させる

そして最も大切なポイントが

「株主のために最大の努力をしていないと思われる経営者をクビにする仕組み」

です。

そのための仕組みが、コーポレートガバナンスです。
その役割を達成するための組織が、取締役会をあじめとする会社の統治組織なのです。

このような仕組みを考えれば、コーポレートガバナンスや会社は誰のものかという議論には、株主のものというのが自然です。

コーポレートガバナンスと経営者の義務

コーポレートガバナンスの目的がわかれば、経営者の役割が見えてきます。
ここからは会社法を紐解きましょう。

コーポレートガバナンスと会社法

会社法では、経営者には(善管)注意義務と、忠実義務があると定めています。
「経営者は自分の利益を犠牲にしてでも株主の利益を守る努力を最大限しなければならない」ということです。

注意義務とは、「経営者はその能力不足や過失によって経営者の財産を損なってはならない」という、ネガティブな方向へ行くことを防ぐための義務です。
忠実義務とは、「経営者は株主の利益を最大化するための努力をしなければならない」というポジティブな方向へのという義務です。

一方の人間が他方の人間の利益や目的のみに忠実に一定の仕事をする義務

(引用)「経済学の宇宙」岩井克人 日本経済新聞社

もし経営者が自らの能力不足や努力不足によって、株主に損害を与えた場合は特別背任という法律上の罪に問われることになります。
「経営者が株主のために働くべき」とは、法律で決められているのです。

目的は株主保護

経営者がこの義務に背くと、誰が困るでしょうか。
会社が傾き、もちろん経営者自身も非難にさらされます。
社内の取締役や従業員も、給料が下がったり評判を落として困ります。
そして株価が下がり、場合によって株主は配当も得られず、出資した財産が大きく損なわれることになります。

つまり、金銭的に最も直接的な損害を受けるのは株主です。
このような2つの義務は、株主の財産を守るためにあるのです。

「社会的責任CSR」はマナーにすぎない
法律の観点から見てもコーポレートガバナンスの出発点としては、株主保護です。
しかし、世の中には「コーポレートガバナンスは株主を守るためだなんて言って、結局企業は金儲けさえやっていればよいのか」と誤解する意見もあります。

補足をすると、もちろん、会社は環境保護や雇用維持やサービスの継続など、社会にとって必要な存在であるわけで、会社は株主のためだけにあるのではないのは当然です。

たとえば、それが会社の業績につながり株主の金銭的利益を増やすことができるが、社会的倫理に反するような会社活動も世の中には多くあります。
これは「社会的責任(CSR)を果たしていない」活動です。
実際のところ、コーポレートガバナンスの仕組みでは、このようなものに対しても、厳しくチェックをすることが求められています。

コーポレートガバナンスの中核は株主のためにありますが、会社は社会の一員である以上、社会的責任も考慮していないわけではないのです。

下では、DeNAの事例についてコーポレートガバナンスの観点から解説しています。

DeNAキュレーションサイト問題
2016年12月、DeNAは自社の持つキュレーションサイト9つ全てを休止しました。
アクセスを増やす目的でサイトの情報量を拡大した過程で、いつの間にか数だけが目的になり、信憑性に欠ける記事や著作権上問題になる記事を乱発し、そのチェックが行き届かなかったことが理由です。

12月7日の記者会見では、記者から
「ベンチャー企業として成長を重視する過程で、社会的倫理が疎かになったのではないか」
「成長と社会的責任のバランスが、成長に傾きすぎてしまったのではないか」

という質問がありました。

それに対し、南場会長の回答です。
そもそも成長と社会的責任はバランスさせるものではない。
成長を重視しているからと言って社会的倫理が犠牲にするものではないし、その逆もあり得ない。

社会的倫理を大前提にした上で成長がある。
その認識はずっとある。
しかし今回は成長を求めることと、そのチェックとのバランスが取れていなかったという点で反省している。

私はこの南場氏の考えに全面的に賛成です。

倫理性は社会的活動の基本中の基本です。

記者の質問の前提には、「成長には倫理を犠牲にするものだ」という考えがあるように見受けられます。
これは前提が間違っています。

このケースのポイントは、経営者の倫理性の欠如ではなく、
「倫理性を実現するための経営者によるチェック機能の不足」です。
このようなチェックに責任を持つのが、コーポレートガバナンス論では取締役、あるいは監査役です。

(参考文献)
完訳 統治二論 」ジョン・ロック
経済学の宇宙」岩井克人
会社はだれのものか」岩井克人
会社はこれからどうなるのか」岩井克人

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。