「商人」(あきんど)永六輔著の感想

以前から、贔屓にしているパン屋がある。

札幌市豊平区の全国チェーンの店だ。

店長が気さくで、わからないことがあると察して向こうから話しかけてくれる人だった。

「いらっしゃいませ」
「ありがとうございました」

と誰よりも声を出していた。

焼きあがったパンを棚に並べるときは積極的に声を上げていた。
店長の人柄がよく、従業員も明るい。
パンは工夫を凝らしておいしいので、いつも楽しみにしていた。

ある時、店長は異動になったのだろう、店からいなくなり、店の雰囲気が全く変わってしまった。
店に着くと、店員が店前のビラを付け替えていた。

挨拶もされず、しかも営業中の混んでいる時間にあえてすることだろうか。

「いつもと違うな」

違和感を覚えた。

店内に入ると、売れ筋の商品が品切れだった。
以前ならありえなかったことだ。
レジを見ると、2つあるレジのうち、ひとつでしかレジ打ちをしておらず、人が列をなしていた。

他にも従業員はいるのに……。
パンの味の変化はあまりないが、人気商品の焼き立てが少なく、また品切れも多くなった。
あまりにも多くのことが変わってしまい、それ以降、ほとんど行くことはなくなった。

いや、決して、好みのクロワッサンが品切れだったから腹を立てているわけではないのだが……

専門用語を使えば、それが通じる相手とは情報交換の手間が省ける。
しかし、実体を離れて、いつの間に本来の意味が何なのか、わからなくなることがある。
以前の職場には、「IT事業家と結婚して玉の輿に乗りたい」と言いながらも「ITが何の意味なのか知らなかった」という人がいた。

たとえば、ソクラテスは、人になぜを問い続けて、その人が知っているようで知らないことをあぶりだすということをした。
いわゆる「無知の知」だ。

言葉を辞書で調べる、物事を由来から考えるというのは直ぐに役に立つかと言えばそうでもなく、あるいは面倒だと思われるかもしれない。
しかし掘り下げると、説得力が増すのは確かだ。

永六輔さんの言葉は、難解な言葉への逃げがなく、実感がこもっている。
分かりやすく、誰にでもわかる説明だ。
村上龍氏の表現を借りれば、「雪に触れると冷たいというような、シンプルな経験」として感じられる。

永六輔さんと、『ウサギにもわかる経済学』の著者の経済学者との対談の一部が載っている。

「需要と供給という言葉をもっとやさしくすると、どうなりますか」
「買いたい人、売りたい人でどうでしょう」
「買いたい人がいて、売りたい人がいて、そこで値段を交渉して、価格というものができると……」
「まァ、いいでしょう」

「その要領で、経済学の経済って何ですか」
「経世済民とか経国済民という言葉を略して短くしたものです」
「漢文だったんだ」
「英語ではエコノミーです」
「エコノミー。飛行機の席にありますね」
「そうです。節約です」
「じゃ、節約学といってもいい」
「はい、経済学は節約学です。そうですね、節約学のほうがわかりやすいですね」
「そのほうがウサギだって喜ぶと思います」

温厚でユーモアも交えながらも、ごまかしがきかない。
この調子で、なぜそもそも商売繁盛の神さまは大黒さまではなくて恵比寿さまなのか、本の再販売価格維持制度はいかがなものか、尺貫法はだめで計量法なのはなぜなのかなども掘り下げていく。

最後の方に、城門町についての持論がある。

信仰のかたちも変わり、生き方も変わり、暮らし方も変わった以上、門前町も、商店街も変わらないわけにはいきません。
しかし、そのなかから変えてはいけないものを探し出し、それを変えないということが文化を守ることにつながります。
それは『あきんどの心意気』でしょう。

今年、永六輔さんは亡くなった。
永六輔さんの心意気は言葉に乗って、胸に去来する。

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