「ヴェニスの商人の資本論」岩井克人著の感想

book

二つの天才的の頭脳は、一見無関係のように見えるものであっても、思いもよらない場面で遭遇し、化学反応を起こすことがある。

文学の天才、シェイクスピアの「ヴェニスの商人」を、異才の経済学者、岩井克人氏が経済学の観点から読評する。

「ヴェニスの商人」は、ヴェニスを舞台に繰り広げられるお金をめぐる喜悲劇だ。
貿易商人のアントーニオは悪名高いユダヤ人高利貸しシャイロックから金を借りて貿易船を出すが難破してしまい、返済ができなくなる。

契約に従って、アントーニオは抵当として自らの胸の肉1ポンドを返さなければならない。
そこで、確かに契約はしたものの、それはあまりにも非人道的だとして裁判で対決するという物語だ。
傍流として、友人たちの恋物語も描かれている。

この抵当をめぐる裁判が物語の大きな見どころだ。
岩井氏が読み解くところによると、そこで貨幣や債務について、シェイクスピアの鋭い洞察を見ることができる。

一例を挙げると、マルクスも悩んだ貨幣の謎についてのエピソードだ。

貴婦人ポーシャは富豪の父を亡くし、経済的には何不自由がない。
しかし、父の遺言によって、自由な恋を許されていない。

つまり、求婚者には金、銀、鉛の三つの小箱を選ばせ、一つだけ中にポーシャの姿絵が入っている。
それを当てることができれば、恋を許されるというものだ。

各国の富豪たちは、金か銀の小箱を選んで失敗する。
しかしバッサーニオは鉛の小箱を選び、見事当てることができた。

なぜ鉛の小箱が正解なのか?

ポーシャの絵姿を秘めている小箱
――それは、まさにポーシャの絵姿を秘めているからこそ価値があるのであり、それ自身が価値をもっているからではない。
鉛の小箱を選んで成功したバッサーニオが解き明かした謎とは、まさにこのことなのである。

貨幣が貨幣であるためには、誰もがそれを貨幣だとみなして、商品を貨幣によってあらわすことができるからに他ならない。
その逆、商品が貨幣の価値を表すから、それが貨幣であり続けられるからではない。

貨幣は、媒介として人間の意識の中に存在する形而上学的なものだ。
それは、保蔵しておいては意味がない。流通してこそ本来の価値がある。

貨幣や言語は、媒介だ。媒介を認識して社会生活ができるのは、人間が高度な知能を持っているからだ。
しかし、人間はその高度な知能ゆえに、えてして媒介そのものに価値があると誤解してしまう。
媒介を実体と取り違えるのは、じつは本末転倒なのだ。

文学と経済学がなぜこのように一つの作品を通じて結びつくのか。
それは、どちらも人間を深く問い続けてゆく議論だからだと思う。

文学は人間の心理を描く。
経済学は利益を媒介にして人間の選択を問う学問だ。

本作は、文学と、経済学の観点から、人間の認識の面白さと本質的な矛盾をあぶりだす、時代を超えた二人の鬼才による合作だ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。