「天使の出現」野口悠紀雄著の感想

村上春樹氏の『ねじまき鳥クロニクル』は、突然妻が失踪した主人公が妻を探し走り回る中で、いつの間にか、かの戦争にのめりこんでいく物語だ。

舞台は戦後だが、戦争によって人生を左右された人達が戦争について回想し、主人公はそれを聞いていく中でいつの間にか戦争の当事者であるかのように、過去に引き寄せられていく。

妻の手がかりを探す中で、間宮中尉という人物に会う。

間宮中尉は、蒙古でソ連軍と戦った人物だ。
ある時仲間らとともにソ連軍に捕えられ、仲間は殺されてしまう。

間宮中尉だけは生き残るが、深い井戸に放り落され、そこで数日間過ごすことになる。
その時に片腕は骨折し、のちに失うことになった。

間宮中尉は、その井戸での経験によって、まったくその後の人生が無意味なものになってしまったという。

間宮中尉は、主人公への手紙でその時の心境を告白する。

以下は手紙の内容だ。

外の光がほとんど届かない暗い井戸の底でなすすべもなく助けを待っていると、昼時にほんの十秒か二十秒、絶妙な加減で太陽の光が強烈に差し込んだ。
急な激しい光に視界は真っ白に飛んでしまう。

しかしおぼろげに、何かが間宮中尉に恩恵を伝えようとしているように思える。
それは天からの啓示のようだった。
すがるようにして必死にそれが何なのかを読み取ろうとするが、ついに分からず光は消えてしまった。

「でもその姿は私の前から永遠に奪い去られました。
その恩寵は私には与えられないままに終わってしまいました。
そして前にも申し上げました通り、その井戸を出た後の私の人生はがらんどうの抜け殻のようになってしまったのです。」

それ以降、間宮中尉は心の潤いを完全に失くし、ただ空っぽな人生を過ごす。

野口悠紀雄氏は、著名な経済学者だ。
経済や金融の著作が多い中、本書は、アインシュタインの相対性理論やマゼランの地球航海、あるいはダヴィンチ、モーツァルトといった過去の偉人に触れつつ、人間の時間と感覚についての話を展開している。
野口氏自身の時間についての考え方も盛り込まれている。

タイトルにもなっている「天使の出現」とは、「天使は前触れもなく出現し、一瞬ですべてを変えてしまう。
その影響はいつまでも残る。
まるで、この瞬間だけのために生きていたように思われることさえある。」ということだ。

それは美しい星空を見た瞬間かもしれない。
頭の霧が晴れて二つの出来事がつながった瞬間かもしれない。

本書では一度も口をきいたこともない、ただのすれ違いの白いパラソルの少女を見た男性が、その映像を生涯反芻し続ける映画が紹介されている。

一つの出来事で人生が形骸化してしまった間宮中尉と、一方で、この瞬間のために生きていたと言えるような、いわゆる「天使の降臨」した人の違いは何だろうか?

野口氏は精力的に執筆活動や研究活動を続けている。
テレビ出演や大学教授という立場でも情報発信をしている。

その発言は、日本経済の先行きを深刻に憂うものが多い。
しかしそれは無意味に危機を煽るというのではなく、現実を見て本当に取るべき道を考えるよう提案する、実際的希望論だ。
論は鋭く、博識さにいつも畏敬の念を抱く。
しかしそれよりも感じるのは行間に散りばめられた、真実を訴えようとする強い意志だ。

これは完全な勝手な想像だが、野口氏は、間宮中尉のように自分の力の及ばない絶対的な力によって影響されてしまった訳ではないはずだ。

天使の出現を待ちわびる他力本願でも絶対ない。
また、天使の出現によって、その後の人生をその出来事に囚われてしまったわけでもない。

きっと、自ら天使を呼び込むよう(あるいは天使の出現を阻害するような要因を極力排除するよう)、ただ万全の心構えをしているのだ。
鋭い論評は、野口氏の時間に対する厳格さの表れだろう。

そのような姿勢を端的に表現するには?
日本にはいい言葉がある。

一期一会。

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